エヴァンゲリオン、それは人の核心に触れる物語

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「エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを君に」

が映画館で公開するらしい。

こいつを見るため、TV放送版エヴァンゲリオン26話を全て視聴した。

これはただの感想である。

誰かに伝えようとかそんな高尚なことは考えていない。

それでもよければ、エヴァンゲリオンの使徒戦以外についての語りを聞いて欲しい。

ネタバレも含むので注意されたし。

人間の感情を丁寧に描いたTV版

新劇場版4部作、漫画版と見てきて、TV放送版を見たのだが、TV放送版が一番面白かった。

なんというか、とても人間くさいのだ。

人間の本当にどうしようもない、変えられない サガ のようなものだけで構成された物語だった。

交友関係の在り方や、幸福な人生の在り方、人生のレールの在り方なんかを見つめているときに

見るべきではなかったのかもしれない。

「本部初の被害が使徒ではなく、同じ人間にやられたものとは、やりきれんな」

冬月が放った言葉。

第七話「人の造りしもの」

第拾壱話「静止した闇の中で」

この二話は新劇場版には登場しないが、とても印象的だった。

劇中の妨害をNERVの視点から見ているので、

「なーにやってんだマジで、協力しろよ」

ってなるんだけど、実際、現実の一幕ではあると思う。

優位に立った人間をうらやみ、ねたみ、妨害したり、迫害したりする。

自分の惨めさが浮き彫りになるから、他の人の成功体験なんて聞きたくない。

心が拒絶しているんだろうな。

「共通の敵が見つかれば、人類は手を取り合うことができる」

などというが、実際はそんなことはないのだろう。

人類補完計画

思ったよりも納得した。

人がひとりでは生きていけない、決して埋まらない心の穴を「補完」する計画。

本当に有言実行の計画だったわけだ。

自分を理解してほしい、一緒にいてほしい、理解したい、一緒にいたい。

そう思えば思うほどにそれができなかったときのことを考えて、心の壁が強靭になっていく。

心の壁というのはきっと、人類補完計画で「補完」してほしい、

その人が一番求めてる根源的な願いなんだろうな。

それが一番相手を拒絶し、自らを守っているというのはなんという皮肉だろうか。

たぶん人それぞれに「補完」してほしいもの、心の壁は違うのだろうが、

私はアスカの心の壁にひどく共感した。

理解したい、一緒にいたい、それが叶わないとき、

「私は一人で生きていく。一人でも生きていけるような強い人間になる」

と決め、そうあるべきだと世界を定め、自分を維持して生きてきた。

第八話「アスカ、来日」

からアスカをみて、正直強い子だと思った。

明るく、誰にも物怖じせず、自分の意志がはっきりあって、自分で自分を肯定できる。

強い女の子だと。

でも実際はそんなことなかったわけだ。

我々に見せていたのは、

心の壁を見せないために心の壁が作り上げた、もう一人の惣流・アスカ・ラングレーであり、

心の壁の向こう側にいる惣流・アスカ・ラングレーはただの寂しがりやな女の子だった。

それがひどく悲しく、そして恐ろしく感じた。

それは自分ではないか。

当然私はEVA弐号機のパイロットでも、惣流・アスカ・ラングレーでもない。

だけれども。

「ひとりでも生きていけるように、仕事も、家事も、一人分なら全部できるようにしよう」

とはしている。

その根底は同じなのだ。

だからそれがひどく恐ろしい。

以上。記録終了。

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