
起きたこと
- 友人Aが友人Bと縁を切った
- 友人Aはそれに耐えきれず、私に話を持ち込んだ
- 私は「友人Bの様子を探るために私を使うな」と忠告し、友人Aはしぶしぶ了承した (その際、私は友人Aになじられた)
- しかし後日、友人Bが友人Aに接触し、話し合いもなく関係はさらに悪化した
- 理由を知るため、私は友人Bから話を聞いた (話の途中で友人Bに泣かれた)
しんどい
なんでこんなに頑張っているんだろうと自問自答した。
面倒くさいなら手放せばいいじゃん、といつも思っている。今もそう思う。
それでも、結局いま(2026/2/15)も手放せていない。
見たくないところを見ないようにしている違和感がずっと残っている。
だから彼ら彼女らとの会話はどこかぎこちない。
気分が悪い。
仕事をさぼった。
最初に配属された劣悪職場でバックレたぶりだ。
とにかく無音であってほしかった。
人の言葉も、人が存在することもノイズだった。
LINEは通知を切り、そのまま無視した。
1月の残りの休日は全部遊ぶ予定が入っていて、過去の自分を呪った。
必ずひと月に一度は誰とも会わず、自分一人でやりたいようにやる日を作ると心に誓った。
たぶん空元気だったと思う。
正解を踏もうと努力している感じがして、すごく気持ち悪かった。
人と会うことが自分を消耗させている可能性を自覚しよう
何でも話し合えば解決する、なんて幻想である。
問題解決だけが答えじゃない。
問題を提起し、そこで一時停止、距離を取る。
それでもいいじゃないか。
でも蓋をしてはいけない。自分がちょうどよい距離感で問題を見つめ直すことが重要だ。
現実逃避でもいい
それは見捨てることじゃない。今じゃないってだけだ。
今回たまたま距離をとれたから私は助かったんだと思う。
距離を取った時の日記を残しておく。なにかの参考になるかもしれない。
1.26~1.30
本屋でインテリアの本を買う。
なんとなく。気分転換。それからは模様替えにいそしんだ。
他のことに熱中するのは、辛いことがあった時にとても良いかもしれない。
ずっとそれを見ていても、視野は狭くなるだけなのかもしれない。
思い立って今まで億劫でやっていなかったことに奮起するのはいい気付け薬だ。
視覚情報と聴覚情報は半沢直樹にささげた。
半沢が苦難に対してまっすぐ立ち向かうさまは、苦痛を忘れさせてくれるくらい熱中させてもらえた。
■結論:距離を取ることは悪いことじゃない
- 人と距離を取りたいときもある
- 一人でいたいときもある
- すぐに解決できないときもある
- 逃げていいときもある
- 周りの人と違う答えを出すときもある
そういうものだ。それでいい。
つながりが、コミュニケーションがすべてのように、正しいように見えると思うけど、私はそうは思わない。
何もしないことを選ぶことだって立派な選択肢だ。
一旦何も考えず、アクション映画に手に汗握ったり、漫才で馬鹿笑いしたりして、
まずは自分を楽しませてから考えるくらいで、ちょうどいいと思う。
以上。記録終了。

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